お知らせ
ブログ 節分に目が行きがちですが…
皆さん、ようこそのご閲覧でございます。(∩´∀`)∩
水虫になりたくない一心で冬も裸足の男、真哉シンサイ君です。
2月3日は節分でしたね( `ー´)ノ三
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、
それを追い払うための悪霊払いの行事として行われていたんですが、、
ヘビーリーダーの皆様は去年の今頃同じ文章を記事で書いていたこと覚えてましたか?(笑)
しかし、2月には仏教徒として覚えておくべき行事があることをご存じですか?
バレンタインデーじゃなくてよ?
仏教三大行事の一つ
2月15日「涅槃会(ねはんえ)」
でございます!
仏教を開いた釈迦(しゃか)が亡くなった日として生前の遺徳をしのんだり、
御恩報謝の思いをあらわしながら各地で法要が行われたりします。
上の写真は福岡篠栗の南蔵院にある涅槃像です。
頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にして入滅した釈迦の姿です。
「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)」と言います。
釈迦の最期にも逸話がありますφ(..)
釈迦80歳の時。
この時、王舎城にいた釈迦は、自分の故郷カピラヴァストゥに向けて旅をはじめます。
旅の途中、ガンジス川を渡るときに病気になってしまいますが、それでも旅を続けるのです。
マッラ国のパーヴァー村で釈迦が教えを説いたときのこと、説法に感動して朝食に招きたいという人物が現れます。
その名も鍛冶屋のチュンダ(^^)/
チュンダは腕によりをかけ、釈迦への食事を用意します。
釈迦のためにつくったものは大量の「スーカラ・マッダヴァ」という食べ物。
これが釈迦の最後の食事となるのでした。
このスーカラ・マッダヴァはじつはあまりよくわからないものだといわれています。
トロトロに煮込んだやわらかい肉料理とか、
トリュフのように豚が好むキノコを調理したキノコスープだ
という説がありますが、
色んなお寺では「キノコスープ」のほうが、主流でございます。🍄vs🐷
釈迦は、これを食べてから体調を崩されたのです。
スーカラ・マッダヴァにあたったのは釈迦だけだった。
チュンダの家からの帰り道に激痛と血便に倒れたのだそうです。(; ・`д・´)
結局これが決定打になり、スーカラ・マッダヴァが釈迦の最後の食事となってしまうのでした。
それでも釈迦は旅を続けますが、クシナガーリーの地で、そのまま入滅することとなるのです。
釈迦は、
「チュンダの食事は、スジャータの乳粥と同じぐらい、他のどんな供養の食べ物にも勝る大きな価値があった」
とかたったといわれています。
スジャータの乳粥は、悟りを開くきっかけに、
チュンダの食事は、釈迦を煩悩のない涅槃の境地へと向かうきっかけになったもの、
だからどちらも自分にとって大事なものだと言っているのでしょう。
そして最後、往生される際、
頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にして入滅していかれるのでした。_(:3 」∠)_
「法灯明、自灯明(法洲明、自洲明)」という教えを説かれます。
「アーナンダ、自らを灯びとし、法(仏の教え)を灯びとしなさい。他を灯びとするのではありません。
自らを拠り所とし、法を拠り所としなさい。他を拠り所とするのではありません。
それは何故かというとですね。アーナンダ。あらゆるものごとは、それぞれありのままで、真実のありようを伝えている。
だから僧侶たるもの、この身、心、感覚、そして様々な物事を、熱心かつ冷静に、また注意深く観つづけ、どう生きるかを考えねばなりません。
私が亡き後も、自らを灯びとし、法を灯びとし、他を拠り所とせずにいる者は、私の最上の弟子となるに違いありません。誰でも絶えず学ぼうと努める者は……」
これが最期の教えでありました。
しみる言葉ではありませんか。。
皆さんも覚えておいてください、2月15日の涅槃会、最後の言葉「自灯明、法灯明」