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ブログ 肥後半縦断半横断旅行記 -前編-
皆さま、ようこそのご閲覧でございます。
からしかワサビなら、迷わずワサビを選ぶ
真哉シンサイ君です。
土曜、日曜とお休みをいただき、熊本まで行ってまいりました。
旅の相棒H(トレンチコートがオシャレ)とともにまず何処に行こうかと悩んだ結果、
「田原坂」へ行くことにしました!(´∀`)ノ
高速に乗っていると目にする田原坂の看板がいつも気になっていたのです。
田原坂といえば、日本最大、最後の内戦・西南戦争の激戦地として有名です。
史跡や歴史の地に行くのが好きな私にお付き合いくださったHU、すまぬ。
入り口を入ると、まず見えてくるのは穴だらけの土蔵。
激しい銃撃戦があったことが予想される見た目。
当時の写真を元に復元されたもののようでした
そして、公園内の田原坂西南戦争資料館へ
入る前に顔はめに…
いつもなら西郷さんに顔をはめるのですが、
たまには体系に相反する谷干城タニタテキさんの方で。
谷さんは、西南戦争の際、熊本城攻防戦で
薩摩軍から熊本城を守った男として有名な方です。
授業では習わない人を知ることができるのが史跡巡りの良さであります。
江戸幕府を倒し、明治政府が起ちあがり、新たな政策を進めていく中で起きた西南戦争。
武士たちが自分たちの存在意義をもとめていき、家族のつながりを断ってしまうほどの
内乱がこの九州の地で起きていたのです。
名前だけは知っていても、内容を詳しく知らないのは恥ずかしいことだと痛感しました。
田原坂からは有明海を越え、雲仙・普賢岳が見えていました。
戦死者の慰霊塔からみえるこの景色桜も菜の花も咲く穏やかなこの地。
世間では最恐の心霊スポットだと騒がれておりますが、
「日本のために」「自身の存在意義のために」と命をおとした若者たちがいたことを思うと、
敬いや先人を弔おうという気持ちが薄くなっていき、
刺激を求めようとしている若い日本の姿を垣間見えるようでなんだか恥ずかしく思えてきました。
そして、一路、阿蘇に向けて進む我々。
阿蘇までの道は地震直後は阿蘇北方面はミルクロードと言う山道を使わねばいけませんでしたが、
2020年に国道57号現道と国道57号線北側復旧道の二つができ、かなり行きやすくなっておりました。
そして、そこから崩壊してしまった阿蘇大橋も「新阿蘇大橋」として開通し、南阿蘇も行きやすくなりました。
しかし、兜岩展望台や大観峰方面に行きたい熊本楽しみ隊の我々は迷わずや道を攻めました。(*ノωノ)
ぐねんぐねんの山道を越えて展望台に到着。
あいにくの天気で阿蘇連山は見えませんでしたが、
この眺望どうよ!すごくキレイじゃあござんせんか!
もう欲望をかき消してくれるような、そんな絶景でしたよ!!!!
おなかがすいたので牛乳とソーセージを食べました。
そのまま内牧を越えて、南阿蘇へと転回!!!
白川水源へと向かうのでした。
コロナの規制も緩和されたからか、海外のお客さんも多く、
ところどころ、和洋中の声が入り乱れておりました。
まず向かったのは、元祖日本で一番長い駅名で有名の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」へ。
桃太郎電鉄というゲームをやってある方もご存じかと思いますこちらの駅。
今は地震の影響で営業停止中、無人駅で昔行ったときは、
ホームに入って電車が来るのをのんびり待った記憶があります。
速く復旧してほしいと願うものの一つです。
そして、白川水源へ
売店の横の道をずんずんと進み、トイレを越え、二つ目の売店を越えると現れます。
透き通って吸い込まれちゃいそう水質…
そして、中国の団体客の波に飲み込まれるH(ウニ苦手)。
「強引に行け!」と押し通させる真哉シンサイ君(苦瓜苦手)。
無事に脱出したので、時計の針と勝負することを決め、阿蘇連山の火口へGOしました。
昨年の噴火により、飛んできた岩石がロープウェイの待機所に直撃、
火口まで行くには徒歩か車でしか行けなくなりました。
近づくにつれ漂う硫黄臭。以前来たときは、
ランプが黄色で、呼吸もなかなか大変でしたが…
今日のガスは、青色点灯なので問題なさそうです!
東宝特撮怪獣シリーズのラドンのお宅を拝見いたしましょう!!!
見事なまでに活火山でございました。。🔥🌋🔥
そして、草千里へ
馬が放牧されておりました。🐎🏇🐎
見事なまでの大自然を目の当たりにし、改めて自身のちっぽけさを知るのでした。
中編に続く!!!(; ・`д・´)